NPOトリトン・アーツ・ネットワークの活動レポートです。詳細はhttp://www.triton-arts.net
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カテゴリ:TAN's Amici コンサート( 55 )

〈TAN's Amici Concert〉 日本音楽集団第201回定期演奏会

2010年11月17日(水)19:00開演
【報告者:M・A(高三)、K・M(高二)/都立高校箏曲部】

演奏会が始まり、舞台が明るくなった時、次々と舞台袖から出てくる団員のみなさんが輝いて見え、とても素敵でした。

初めて第一生命ホールでの演奏会を聴きに行きました。
雨が降り、寒い中トリトンまでの道のりは長いように思いましたが、会場の入口はとてもわかりやすく、良かったと思います。入口を入ってからも、受付の方々が笑顔で明るく出迎えて下さいました。会場の案内もしてくださっていたので、初めての私も迷うことなく座席につくことができました。
今回の演奏会は自由席だったため、私は上から見える二階席へ行きましたが、会場を見渡す限り、空席が少し目立っていたように思えました。
演奏会が始まり、舞台が明るくなった時、次々と舞台袖から出てくる団員のみなさんが輝いて見え、とても素敵でした。

1曲目「子どものための組曲」
最初の方はゆったり軽やかに進んでいく音楽に一緒になって揺れていましたが、段々と激しくなりはじめ、生き生きと鳴り響く太鼓の音に釘付けになってしまいました。打楽器の演奏者の方々がとても格好良かったです。
2曲目「雨のむこうがわで」
今までの様々な演奏会を見た中で、初めて打楽器だけの合奏を聴いたので、少し不思議な感じがしました。普段目にすることはできないたくさんの種類の楽器もとても魅力的でした。演奏者自身も楽器になったような感じで視覚からも音楽を楽しむことができました。
3曲目「夢もよい」
語りが朗読のように聞こえたと思うと、次は感情のこもったお芝居のようになり、変化の速さに少し驚きながらも、その様々な世界観に圧倒されてしまいました。
4曲目「火の曲」
箏の音だけでなく、竜笛の音がとても響いていて、とても美しかったです。並びも十七絃から箏へ広がっており、音も広がっていくように聞こえました。
5曲目「ディヴェルティメント」
この曲は今回の演奏会で私の印象に一番強く残りました。私も少し練習したことがあったので、無意識に手がリズムをうっていて、とても楽しく聴くことができました。ゆったりとしていて優しくきれいな所も好きですが、全員が同じテーマを弾いている所は力強く迫力もあり、とても素敵でした。

今回の演奏会を通して、私個人の意見ではありますが、洋楽器よりも和楽器の音色が好きだと改めて感じさせられました。
また機会がありましたら、様々な演奏会に足を運びたいと思います。
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by tritonmonitor | 2010-11-17 19:00 | TAN's Amici コンサート

〈TAN's Amici Concert〉 林光・東混 八月のまつり31

2010年8月9日(月)19:00開演
【報告者:さいとうさなえ/高校教諭/千葉県在住】

忘れない。

怖い。苦しい。悲しい。辛い。自分の心と体が痛い。絵よりも怖い。でも美しい。二度と繰り返してはいけない。

――76年9月、修学旅行の事前学習の一環として、『原爆小景』の「水ヲ下サイ」を高校2年生に聞かせた。前年のNHK全国学校音楽コンクール全国大会の録音が役立った。
そもそも『原爆小景』との出会いは72年8月。所属の早稲田大学混声合唱団員と共に「夏の東混は刺激的だ」との先輩の声にひかれ、客演指揮者の原田氏、ヴォイストレーナーの山田茂氏等々のご出演もあって、文化会館へ。本格的な合唱に触れたことのない自分には、何もかもが新鮮だった。そこに『原爆小景』がきた。この曲が、自分の合唱のもう一つの原点となった。爾来、夏といえば『原爆小景』。

生で聞くのは実に35年ぶりだが、今回の聴衆はシニアの方が多かった。銀髪に戦後65年の重みを感じる。その中で、小学生と中学生と思しき姉妹が何組かと、大学生らしいグループが幾つか眼を引いた。高校生にも相当ハードなこの曲に触れさせようとの親御さんの見識の高さ。若い人たちの意欲と素直な感動。なんだか嬉しく、ほほえんでしまった。

「永遠のみどり」は、今回初めて聴いた。伸びやかな瑞々しい声の紡ぐ気負わない素直な音の重なりは、「ひろしまのデルタ」にしたたる「とはのみどり」そのもの。柔らかな若緑の照明と相俟って無限の広がりを感じた。前日、「芥川也寸志メモリアル オーケストラニッポカ」による、深井史郎『平和への祈り』の合唱に出たのだが、第4楽章の〈ただならぬ 苦患(なやみ)の後に/よみがえる 生命あり、/苦しみの極まるところ/やすらひと 慰めの光あり〉のところで感じたものは、〈死と焔の記憶に/よき祈よ こもれ〉と同じ生命の蘇りと祈りだったのだ。そして、上手の譜面台に置かれた1本の白百合。慰霊碑に手向けられた献花の如く清らかで美しかった。

先の高校生の感想はまだある。「アメリカの人に聴いてほしい。」――演奏に先立って、林光氏は、「忘れない。忘れてはいけない。」とおっしゃった。原爆投下。被爆。この事実を私たち人間は忘れてはならない。核使用の国の人を責めるのではない。こんな苦しみ、悲しみ、痛み、怖さが、65年前に人の手によって一方的にもたらされたことを知ってほしいのだ。そして感じてほしい。高校生と同じく自分の心で。もとより戦争で幸せになれるはずはなく、今は戦争即核使用、人類滅亡へとつながる。同じことが起きようとしている。押しとどめるのは今。人間の声のちから、東混の『原爆小景』のちからで。

恒例の「林光・東混 八月のまつり」。魂鎮めのまつりのみならず、私たちに未来への進む力を与えてくれる今宵のまつりであった。

「きりっとした」東混による「へなっとした」小歌。『花靱』、もー最高!!中世のマドリガルに匹敵する艶やかさと軽やかさに酔った。終曲【歌えや】はnigro spiritualのようなswing感あり、ブロードウェイのダンスナンバーのノリで思わず体もswing。これぞ「八月のまつり」の締めにふさわしい躍動感と生命力が漲っていた。『閑吟集』は大好きで、今回のお目当てだった。思いのたけは次の機会に。
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by tritonmonitor | 2010-08-09 20:22 | TAN's Amici コンサート

〈TAN's Amici Concert〉 林光・東混 八月のまつり31

2010年8月9日(月)19:00開演
【報告者:T.K/中央区在住】

作品と言う媒介を通して後世の人に感情を間接的にも経験させ、当時の記憶を「残す」。
それが作品の意図ではなかろうか。


しがみつく様にしつこい暑さが一休みした日の昼下がり、当日夜の「八月のまつり」にモニターとしてお誘いを頂いた瞬間、自分の心の中に躊躇が無かったと言えば嘘になる。この「八月のまつり」の恒例ともいえる、林光氏の『原爆小景』を聴くことにどこか抵抗感を感じていた事は否めない。

先の戦争の終結から65年、日本は、(様々な捉え方はあるにせよ)対外的な戦争を経験せずに復興・発展から停滞を経て今に至る。その中で育ってきた小生の世代は、戦争経験世代からすると三世代、つまり自分を直接育てた親すらも戦争を経験していない。
その小生が家庭や諸教育機関で受けてきた戦争や被爆国としての教育は、「知ることが義務」という体裁を取り、原爆の悲惨さ、殺しあう事の哀しさなどを、絵画や映像、文学など様々な形で小生達に知識として「知ることを求めて」きた。止める事の出来ない時間軸の中で、遠く離れつつある消せない事実を学ぶことが「義務」教育だったのである。幸福な事に平和を享受している小生は、それが故に自国の戦争を過去の事象としてしか捉える事の出来ない中で、その悲惨さ・哀しさを知るのは幼い頃から心を痛ませる「義務」だった。
原爆小景を聴く事は「義務」を再び体験する事であり、それを忌諱する芽が自分の心の中に生えたのは否めない事実だが、その芽を摘み取り、ホールへと足を向けたのは、過去を知り記憶を「残す」ことが我々の責務であると言い聞かすもう一人の自分もいたから(そのもう一人の自分を育てることが、戦争教育の一環だったのかもしれないが)。

芸術のどの分野であっても、戦争や原爆を題材に扱った作品は、その表現で求めている物は「美」ではないような気がする。作品の目的は、その表現形態を介して、そこで起こった事実や表現者の中に湧き起こった感情を「残す」こと。恐れ・苦しみ・悲しみ・痛み・怒り・諦め・絶望・渇望…、作品に接した時に湧き起こる感情は、作者の意図したものだろう。作品と言う媒介を通して後世の人に感情を間接的にも経験させ、当時の記憶を「残す」。それが作品の意図ではなかろうか。

この日も、「原爆小景」の中で歌われる死の淵に落ちつつある人の声は、当時の凄惨さを語りかけ、聴く者に心苦しいまでの感情喚起を促した。体が焼かれた痛み、一瞬の間に起こった殺戮への疑問、生への執着と諦観、水への渇望、そして永久のみどりへの希望。原民喜が書き綴り、林光が曲を付けた作品は、強く、容赦なく訴えかけてきた。その意味で、演奏は生々しいまでにインパクトのあるものであった。

演奏会はその後、林光氏の新作などに続き、最後は日本のおなじみの歌曲で締めをくくった。プログラムとして曲が進むにつれ、曲としての興味深さや美しさが先行するようになり、そして最後には耳慣れた曲で終り、会場としては「やっぱり歌はいいね」という雰囲気で終演を迎えた。
しかし、個人としては「原爆小景」で受けたインパクトが徐々に薄れていき、演奏会が終わった時に何が「残った」かが曖昧になってしまったという印象は拭えない。
一つ一つの作品は素晴らしいものだったし、貴重な体験をさせてもらえた。だが、小生の思う曲の主眼が「残される」ものだったかどうかは分からないまま帰路につく事になった。

殺戮兵器として生まれた核兵器は、威嚇道具、そして抑止力として利用されながら、現在では政治的プロパガンダの材料にまで使われるに至った(意図の有無に関わらず、それによってノーベル平和賞が動いたのも1回ではない)。どのように利用されようが、物質として核兵器が残っている世の中で、唯一の被爆国である日本は何を「残す」のか。
そんな事を考えさせられる演奏会だった。
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by tritonmonitor | 2010-08-09 19:00 | TAN's Amici コンサート

山田和樹ブザンソン国際指揮者コンクール優勝記念 東京混声合唱団特別演奏会

4月16日(金)19:00 開演
【報告:三木隆二郎/1階C11列20番】

【出演】
◆山田和樹(指揮)
◆前田勝則(ピアノ)
◆東京混声合唱団

【曲 目】
◆ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第9番
◆リーク:コンダリラ
◆黒人霊歌:ジェリコの戦い
◆Rロジャース:エーデルワイス
◆木下牧子:夢みたものは…
◆林光:うた
◆上田真樹:混声合唱とピアノのための組曲「夢の意味」
◆ウルベル:ディズニー映画「南部の唄」よりジッパ・ディ・ドゥー・ダー
◆武満徹:混声合唱のための「うた」より「小さな空(武満徹:作詩)」、「島へ(井沢満:作詩)」、「恋のかくれんぼ(谷川俊太郎:作詩)」、「小さな部屋で(川路明:作詩)」、「死んだ男の残したものは(谷川俊太路:作詩)」
◆三善晃:混声合唱組曲「五つの童画」



 私事で恐縮だが、報告者は今回の指揮者である山田和樹が結婚に至るきっかけを作ったキューピッドの一人である。(三人いたキューピッドの二人目だったらしい) 
 私がアマチュアオーケストラに在籍していた2000年の春の演奏会にモーツァルトの協奏交響曲を演奏することになり、ある公開レッスンで知り合ったヴァイオリニストをソリストとして招へいした際、彼が藝大指揮科在学中で偶然そのアマチュアオケの指揮をしていたというご縁であった。当時の彼の指揮ぶりは「指揮台で踊るマエストロ」という雰囲気で、その天性の明るい性格と相まって練習が実に楽しく、それに引き込まれて演奏もうまくいくというものであった。
去年の夏、結婚式に呼ばれて軽井沢のホテルまで出かけたが、彼は式のごあいさつの中で「今秋ブザンソン指揮コンクールで優勝します。」と宣言して出席者の度肝を抜いた。
お父さんとも式後にお話しを伺う機会があったが、「あんな大仰なことを式のあいさつで言うなんて・・・」とおっしゃっていたものだ。
ところがその優勝宣言を現実のものとしてしまうところが、ヤマカズ(指揮者山田和樹)のすごいところである。
ところで当日の外の天気は4月も半ばだというのに真冬並みの寒さに加えて横なぐりの雨模様と、最悪の天候だったため、駅からホールへの道すがら、お客の入りを心配していた。ところが、である。入ってみると中は超満員で、知り合いを見つけて聞いたところによると、朝から「当日売りがないか」という電話には断りを入れていたとか。
評者はあいにく仕事が長引き、前半途中の愛唱歌からホール内に入って立ち見でしばらく聴いた。何回も東混を聴いているがこの日の演奏は第一生命ホールとの相性の良さが際立っていたように思える。ここ第一生命ホールではかつて、東混の岩城宏之が指揮を終わってアンコールの時、くるりと指揮台の上で客席に向き直り、「この第一生命ホールの響きが余りに素晴らしいので気に入った。だからこのホールください。」と言い始めてびっくりした思い出がある。
確かに「夢みたものは・・・」のしっとりとした叙情や「うた」、「夢の意味」など学校を回って好評だった曲の数々は最弱音のハーモニーが実に味わい深く響くのだ。
ただ一方、ディズニーの「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」のように、ノリの良さが求められる曲では、ホールの格調の高さに気押されたか、学校の体育館などで生徒の前で歌っている時に比べるとやや客席を巻き込む迫力という点で、特にソロの歌手がやや緊張気味だったのが惜しまれる。
しかし、第二部に入って武満徹の「混声合唱の『うた』より」では静けさと大きなうねりが交互に交錯して音の波が寄せては引いていくようで心地よかった。中でも谷川俊太郎の「恋のかくれんぼ」ではその詩の面白さも充分に味わえる歌唱であった。同じく谷川俊太郎作詞の「死んだ男の残したものは」ではライナーノーツによってこの曲が安保闘争の反安保集会のために作曲されたことを初めて知ったのだが、不思議な詩の背景が分かって興味深かった。
最後の林光の「五つの童画」は高田敏子の詩が先に出来ていてそれにイメージを合わせた作曲をしたものとのことだが、やはり童心に帰って自然の中を飛び回るような詩に見事にあった曲である。それを東混は自家薬籠中のものとして、山田和樹の指揮棒の思うがままに自由に飛翔していた。
全体を通してアンサンブルピアニストの前田勝則の演奏も東混とヤマカズのアンサンブルを絶妙なバランスで支えていたことは特筆に値しよう。
終演後、満面の笑みをたたえた田中信昭氏がヤマカズに「オメデトウ」を言いに楽屋口から入って行ったので、その後をついて行ったが、驚いたことに舞台のそでにステージから引き揚げてまだ1分もたたないうちに缶ビールで全員が乾杯していたのだ。それも飛びっきりの笑顔で。
まさに東混は自分達と音楽を作ってきたヤマカズの大指揮者へのデビューに立ち会ってこれ以上の幸せがないという雰囲気で今、ノリにのって光り輝いている。
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by tritonmonitor | 2010-04-27 18:13 | TAN's Amici コンサート

第8回ビバホール チェロコンクール第1位受賞記念 加藤文枝 チェロリサイタル

2月28日(日)14:00開演
【報告:井出春夫/会社員/2FL1列46番】


このコンサートは、昨年行われたビバホールチェロコンクール第1位受賞記念コンサートである。
このコンサート当日、朝から雨が降り、大都市東京を多くのマラソンランナーが走っていた。そればかりか、前日、チリで大地震があり津波がくるとかで「川や海の近くに行かないで」という広報車までホールの周りを走っているという周りが慌ただしい日であった。

このコンサートは過去何回か聞いているが、個人的に楽しみにしているコンサートである。前回と今回は女流チェリストが優勝した。毎回違ったタイプのチェリストが出てきてとても面白い。
このコンサートは、普段のコンサートとはちょっと雰囲気が違う。開場する前も後もロビーのところどころに人盛りがある。何だか、同窓会や成人式場みたいだ。

開演の頃には、太陽が顔を出し始めた。

曲目は、ドビュッシーの「チェロソナタ」、デュティユー:ザッハーの名による3つのストローフェ」(無伴奏)、今年生誕200年のシューマン「幻想小曲集」、休憩を挟み養父市長の挨拶、そしてラフマニノフ「チェロソナタ」聞いてみて、加藤さんにぴったりのプログラムであると思った。加藤さんのチェロは、とてもよく歌い、あまり技術を感じさせない。
ドビュッシーは、明るい音色でとてもすがすがしい感じを受けました。
デュティユーは、チェロの音がすーっと客席に聞こえてくる感じでとても美しかった。
シューマンの幻想小曲集とアンコールで弾かれた「詩人の恋」から「あかりさす夏の前に」は、ピアノとチェロの対話が美しい。特にピアノの音色が少し輝いて聞こえた(ちょっと「のだめカンタービレ」ののだめが宮廷でコンサートをしたときみたいに)。
ラフマニノフは、ピアノが張り切り、チェロがとても美しく歌いとても楽しめた。
アンコールは、最初チェロの名曲サンサーンスの「白鳥」ピアノは少しクールに聞こえたがそれがかえってチェロのたっぷりとした歌心を引き立てた。
「白鳥」を聞くと、なぜか私は、山本直純さんのなぞかけを思い出す。白鳥とかけて禁煙ととく。そのこころは?というものだ。
とても楽しめた演奏会であったし、もし、機会があったらコンクールにも足を運んで見たくなった。
加藤文枝さんのチェロで今度は、バッハやベートーヴェンの作品を聞いてみたいと思った。

最後に、コンサート終了後の客席からの退席について、日頃何気なくやっていることであるが、そのタイミングは、なかなか難しいなぁと感じた。完全に終わりまでいられるなら問題はないけれど、予定が詰まっていたりするとどうしても早く出なければならない。たまたま演奏者の出るタイミングと自分が立つタイミングが合ってしまうと何となくばつがが悪い。コンサート終了後、余裕を持って帰れるようにしようと思った。
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by tritonmonitor | 2010-03-13 22:40 | TAN's Amici コンサート

第8回ビバホール チェロコンクール第1位受賞記念 加藤文枝 チェロリサイタル

2月28日(日)14:00開演
【報告:三木隆二郎/自由席 2階C1列15番】

 本公演は兵庫県養父市で二年に一度行われる第8回ビバホール・チェロコンクール第一位受賞記念として行われた共催公演です。

 このビバホールコンクールは1994年にスタートされた地方の小さな町が行うものでご多分にもれず財政難で厳しい状況にも拘らず堤剛氏をはじめとする審査員や毎回、100人を超える住民ボランティアの支援により立派に運営され続けられ、今や「若手チェリストの登竜門」と呼ばれるまでになっています。

 この日のプログラムと共に挟み込まれたチラシの中には「第9回ビバホール・チェロコンクール」「元気な養父づくり応援寄付金」に加えて「一円電車募金」趣意書が含まれていました。「一円電車募金」とはかつて明延鉱山で走っていた乗車賃"1円"の鉱山鉄道の保存・活用活動としての募金への協力お願いです。

 さて加藤文枝さんは同志社高校を卒業し東京藝術大学から今春、同大学院に進学予定の若き俊英でこれまでに、日本クラシック音楽コンクール全国大会第3位、札幌ジュニアチェロコンクール優秀賞、泉の森ジュニアチェロコンクール高校生以上部門金賞、京都芸術祭「世界に翔く若き音楽家たち」奨励賞を受賞し、既に大阪センチュリー交響楽団とも共演し、2006年よりパリのエコールノルマル音楽院に給付生として入学、という綺羅星のような経歴を築いた上で2008年のビバホール・チェロコンクールに第1位となっておられます。

 その後も2009年には東京藝術大学内にて安宅賞を受賞され、東京音楽コンクール弦楽部門第2位となり、今、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いを持ったチェリストと言えるでしょう。

 ステージが舞台明りになると純白ドレスで堂々と登場し、一曲目はドビュッシーのチェロソナタです。この曲は作曲家最晩年の様々な楽器の為の6つのソナタの一つですが、チェロ奏者にとってドイツロマン主義とは正反対の極めて繊細な演奏を求められるレパートリーです。冒頭の低音部から上向する音型からピアノと精密なアンサンブルが要求されます。 加藤さんの演奏は実に磨き抜かれたもので、特に親指によるピチカートはホールに良く響き渡り演奏効果を上げていました。

 二曲目のデュティユーの「ザッハーの名による3つのストローフェ」と言う曲はスイスの指揮者パウル・ザッハーの功績を讃える為にロストロポーヴィチが世界の12人の作曲家に委嘱した作品の一つだそうです。
 最弱音のハーモニクスもよく響かせて巧みな弓さばきで難曲を聴かせるのに成功していました。

 三曲目はシューマンの幻想小曲集(Op73) です。弾き出しから万感迫るロマンチシズムのほとばしりが感じられ、卓越した技巧の持ち主であることが証明されていました。

 四曲目はラフマニノフのチェロソナタト短調(Op19)です。この曲はシューマンから始まったロマン主義の行き着く姿があるともいわれますが、ロシア的な叙情をたっぷりたたえた名曲です。ただその為に、チェロとピアノのアンサンブルによってはチェロが隠れてしまって聴きとれないという危険性も出てくる難曲でもあります。
 加藤さんの奏する1楽章は堂々とした風格を持ったもので、2楽章はアンサンブルピアノが水際立った演奏で、良くチェロを支えていました。3楽章は濃厚なロマンチシズムの一番の聴かせどころをたっぷりと歌ってくれました。4楽章はだんだん興奮してくるとピアノの分厚い響きにややチェロのメロディが隠れがちだったのが惜しいように思われました。

全体を通して才能豊かなチェリストをしっかりと支えていたアンサンブルピアニストは入川舜です。

アンコールの1曲目は白鳥をしっとりと、2曲目はプーランク作曲『ルイ・アラゴンによる2つのポエム』より「C」、3曲目はシューマン『詩人の意』より「明りさす夏の朝に」でした。
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by tritonmonitor | 2010-03-08 09:54 | TAN's Amici コンサート

音楽の玉手箱Vol.6 メンデルスゾーン生誕200年


6月22日(月)19:00開演
【報告:三木隆二郎/港区在勤 1階14列9番】



 第一生命ホールですでに恒例となっている「音楽の玉手箱シリーズ」とは、18-19世紀には普通に行われていた、様々な編成の曲があたかも現代のTVバラエティ番組のように繰り広げられるコンサートのことです。
 今回が6回目となるこのコンサートではメンデルスゾーン生誕200年を記念して、彼の作品の中から優しく輝く「音楽の翼をもった妖精」にスポットライトを当てて選曲されています。
プレトークとしてメンデルスゾーン研究家の星野宏美の解説付きでした。今年は生誕200年ということで既に半年で19回も記念コンサートに行かれたとか。たった38歳という短い生涯で750曲も書いた彼の様々な音楽の中で普段はめったに聴かれない曲が記念の年だからということで演奏されるのが特にうれしいが、中でも今日は極めつけの希少価値を持つのが「シャコンヌ Pf伴奏付」とのことで期待がますます膨らみます。

 前半の最初は小倉貴久子によるピアノ独奏でお馴染み〈春の歌〉。なじみぶかい旋律はメンデルスゾーンがスコットランドを夫妻で旅行していたくつろいだ気持ちが自然に湧き出ている、という解説を読むと、浮き浮きした気分のいわれが納得できます。
次にチェロの花崎薫が登場して曰く「メンデルスゾーンにはすべてがある。ベートーベンのような精神性、モーツァルトのような人なつっこさ、シューベルトのようなロマンチシズムが嫌みなく高い次元で一つにまとまっている。またその曲をオーケストラで演奏しているとその中にはワーグナーの先駆的な気配すらする。」とのコメントの後、無言歌を演奏しました。
次いでヴァイオリンの桐山建志が現れ、いよいよ〈ヴァイオリンとピアノのためのシャコンヌ 二短調〉の演奏となります。
そもそもシャコンヌにはブラームスやブゾーニによるピアノ用アレンジ、ストコフスキーによる有名なオーケストラ版もあるのですが、メンデルスゾーンによるピアノ伴奏付はその走りだそうです。
聴いてみての感想は「思ったほど(期待したほど)の違和感がない」ということに驚きました。それというのもヴァイオリン・パートがオリジナル通りに自然と始まりピアノは静かにしていることもあり、ピアノがその後和声を付けてもヴァイオリン・パートには一切手を付けていないこともあるからかもしれません。あのシューマンがこの初演を聴いて「メンデルスゾーンによる伴奏は絶妙で、あたかも老バッハが自らピアノに向かっているように思われた」と評したというのもうなずかれます。
次いで前半最後はテノール歌手、畑儀文が珠玉の歌を六曲歌いました。畑は今やドイツリートの第一人者ですがペーターシュライヤーが歌うメンデルスゾーンに魅せられて30年前のデビューコンサートでメンデルスゾーンを取り上げたそうです。確かにメンデルスゾーンは生涯で150曲の歌曲を作っていますが、あらゆる創作全般の根底に歌曲があった、ということです。シンプルかつナチュラルに加えてブリリアントで、たとえば、〈歌の翼〉など一度聴いたら忘れないメロディで誰でも口ずさめるのです。
特に〈新しい愛〉には今日の音楽会のテーマである妖精が登場しました。その妖精とは、「プレストの軽やかなテンポにより、スタカートと付点音符を交えた伴奏が、宙を飛び交う妖精、白馬のギャロップ、そして穏やかならぬ心の内をみごとに表現している。」(プログラムノートより)
プレトークで星野宏美が小倉貴久子に生誕記念コンサートの内容を尋ねた時に「メンデルスゾーンに歌は絶対欠かせない。」と言われたと紹介していましたが、まさに歌曲を入れたことが特に今晩のコンサートをいっそうゴージャスで魅力あふれるものにしていたと言えましょう。

後半は二短調の曲が二曲続きました。最初はピアノ独奏で〈17の厳粛な変奏曲〉ですが、おごそかな主題と言い半音下行によるモティーフの多用といい、精神性の深さを巧みな音楽技法で表現した極めて円熟した作曲技法が「厳粛な雰囲気」を良く表していたと思います。
ついで〈ピアノ三重奏曲第1番 二短調 Op49〉で今晩のプログラムの中ではもっともよく演奏される曲だったかもしれません。
中でも三楽章のスケルツォは「軽やかに生き生きと」という速度表示記号が示すように妖精が舞う音楽だと言えましょう。しかし、実を言うとこの曲を演奏するたびにピアニストから悲鳴が上がるのです。妖精のように軽やかに生き生きと弾くパートが作曲されたのはメンデルスゾーン自身が極めてピアノを弾くのが上手だったからにほかなりません。
この日にステージで演奏されたピアノはまさにメンデルスゾーンが活躍していたころのウィーンで製作されたJ.B.シュトライヒャーのものでした。中に鉄骨フレームはなく強い張力には耐えられませんが、鹿の皮で出来たハンマーにより軽やかなタッチが可能になり、木のケースに入っているので暖かい音色になっているのが特色です。

この日のコンサートには明確な制作の意図もあり、音楽家もそれぞれが一流で魅力あふれる演奏を繰り広げてくれたのですが、唯一残念だったのはお客様の入りで、せめてこの日の聴衆の倍は欲しいと思ったのは私だけだったでしょうか。
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by tritonmonitor | 2009-07-10 16:04 | TAN's Amici コンサート

2009年5月7日 グスタフ・レオンハルト チェンバロリサイタル 第一夜 


【報告2:T.N./会社員/1階15列31番】

 この日はやや風が強かったが、幸いにして雨もあがり、晴れやかな気持ちでリサイタル会場へと向かった。
第一生命ホールを訪れるのは初めてであったが、スタッフの方々の対応もよく、開始時間まであまり余裕のない状態で到着したにも関わらず、すぐ席に着くことができた。会場に入ってからしばらくの間はざわついていたホール内が、演奏の始まる数分前には誰ともなく一斉に静まりかえる様子から、自分も含め観客の期待感や緊張感が高まっていくのが分かり、生の演奏会ならではの雰囲気を早々に感じることができた。
 私自身は、チェンバロの演奏をリサイタルで聞くのも会場を訪れるのと同様に初めてであったが、しばらく演奏が進んでルイ・クープランの組曲のクーラントであっただろうか、小気味よくメリハリの利いたリズムによってとてもリラックスできたように感じ、会場全体もそのような雰囲気になったように思われた。その後も普段耳にすることの少ない独特の音色に身を委ね、演奏を楽しんだ。
 前半の演奏が終わり、休憩時間には奏者自らによる調律が行われた。鍵盤楽器がその場で調律されること自体が新鮮であったが、多くの観客が休憩時間中も外に出ることなくその光景に見入っていた。後にパンフレットを読んで分かったことであるが、奏者はその日その日のプログラムに合わせて理想となる響きを求めて微妙に異なる調律を行っているとのことであり、それを知らずにいたことが少し悔やまれたが、一音一音丁寧に、しかし素早く調律を行っていく様子が印象的であった。残念であったのは、前方の席には立ち入らないようにとの事前の注意にも関わらず何人かの人々が残り続けていたことであろうか。
 後半の演奏では全体的な曲調も前半のプログラムと変わり、再び新鮮な気持ちで聴くことができた。個人的にはデュフリのラ・フェリックスのメロディとハーモニーが特に美しく感じられ、今でも思い起こされる。
演奏が終わると会場から惜しみない拍手が送られ、何度もそれに応える奏者に対してより一層の拍手がホール全体に響き渡っていた。この観客の一体感というのも生の演奏会ならではであろう。
 奏者が立ち去った後、多くの観客が興味を示していたのが使用されていたチェンバロについてである。遠目でよく分からなかったが、楽譜も手書きであったという話も聞こえてきて、周囲からは感嘆の声があがっていた。間近で楽器を見ることもでき、聴覚、視覚の両方から最後まで楽しむことができたが、楽器を携帯電話で撮影する人が数多く見られたことや、それをスタッフの方が注意するといったやりとりがあり、演奏を聴き終えた後の満足感が少し薄らいでしまったことが残念であった気がする。観客へのマナーの徹底というのは本来会場に求めるものではないと思うが、リサイタルやコンサートに通いなれていない自分でも気になったこういった部分は、この演奏を前々から楽しみに来られた方にとっては、それ以上であると考えられることから、事前に何らかの対策を講じていただけたらと願う次第である。
 演奏や会場の雰囲気は言うまでもなく、とても素晴らしいものであったことから、機会があれば是非また訪れたいと感じた。
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by tritonmonitor | 2009-05-21 10:55 | TAN's Amici コンサート

2009年5月7日 グスタフ・レオンハルト チェンバロリサイタル 第一夜 

【報告:Y.H /会社員/1階15列30番】


 朝から降っていた雨もあがり、軽い足取りで向かいました。開演前のホールを見渡してみると、思っていたよりも若い人が多く見受けられましたが、一番多かったのは年配の夫婦の方でしょうか。観客は期待を胸に、落ち着いた様子で開演を待っていました。
 始まる数分前、会場全体が静かになり、緊張感が漂い始めました。レオンハルト氏登場後、緊張感はより一層高まり、息をするのにも気を使うような静寂がありました。皆が真剣に演奏を聴きたいという気持ちの表れだと感じました。演奏は静かなメロディで始まり、振り返ってみると少し緊張した演奏だったように思います。初めて拍手をするタイミングでレオンハルト氏が座ったまま軽くお辞儀をし、その姿がとてもチャーミングだったので、ほっと一息。観客にも少しリラックスムードが漂い始め、肩の力を抜いて演奏が再開されました。
前半が終了し休憩時間に入ると、レオンハルト氏による調律のため、前寄りの座席の人はほぼホール外やドア付近に移り、その姿を見守ります。レオンハルト氏が静かに調律を始めました…真ん中と低音、そして高音へと次々に合わせていきます。チェンバロはやはり音程がずれるのが早く、まんべんなく調節する必要があります。しかしレオンハルト氏の手にかかれば、すっと整えられていき、それがとても心地よく感じられました。貴重な場面を見せていただきました。
 調律後比較的すぐに後半の演奏が再開されました。レオンハルト氏は調律のために休む時間がほとんどないはずだけれど、短期間でリフレッシュしたように前半とはまったく違った雰囲気で演奏を始めたのにとても驚きました。偉大な演出家だと思いました。会場の雰囲気もほぐれ、より流れに乗った演奏でレオンハルト氏も熱くなってきた!と感じたのは私だけではなかったのか、2階席に目を移すと前半に比べて観客が前のめりになっていて、惹きつけられていると感じました。
 ラストまで情緒溢れる演奏と表情ある曲目ですっかり堪能させていただきました。弾き終わった後しばらく拍手はなりやまず、再び登場したレオンハルト氏が選んだアンコール曲はクープランのロンドーでした。
会場は終始穏やかな雰囲気でしたが、観客は満足に満ちた表情で熱い気持ちを胸に会場を後にしたことと思います。もちろん私もその一人です。レオンハルト氏がこれからも穏やかで熱い演奏を続けてくださることを願っています。
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by tritonmonitor | 2009-05-20 15:52 | TAN's Amici コンサート

長澤勝俊追悼演奏会(2009年1月9日)

2FL1-29 佐々木久枝(会社員・華道教授:中央区勤務)

翌日に没後1周年を迎えるこの日は邦楽界の名だたる皆さんが晴海で一堂に会して長澤さんを偲ぶひとときを過ごしたのですが、ややもすると湿っぽくなってしまいがちな追悼演奏会は、驚くほどの華やかさに満ちていました。前売りの時点でチケット完売、当日券は一切出ないという事を聞いて、天国の長澤さんも驚きながらも喜んでいらっしゃるだろうなと感じました。関係者150名分の楽屋も足りない中、皆さんが目指していたのは長澤さんへの親愛なる思いに裏付けられた熱い演奏。ご挨拶したとある出演者の方からも皆いつになく気合が入っていますとの事を伺い、期待を抱きつつ席に着きました。会場には長澤さんの笑顔の写真が明るい色合いの花に囲まれて飾られており、来場のお客様を温かく迎えていらっしゃいましたが、そこに長澤さんが立っていらっしゃるような存在感がありました。

会場では日本音楽集団40周年記念に出版された「音に命を吹き込む・・長沢音楽のすべて」(原表記通り)があわせて配られましたが、団員との対談や音楽活動で関わった方々のエッセイが満載、この冊子の中でも長澤さんは人形劇団からスーパー歌舞伎に至るまで幅広く長い音楽生活のこぼれ話や音楽への愛情をたっぷりと温かな口調で語っておられ、いかに長澤さんが皆さんから愛される作曲家だったかというのを改めて思い返しました。

「飛騨によせる三つのバラード」は背中に荷物を背負って徒歩で運搬する事・運搬人を指す「歩荷(ほっか)」から。幅広い琴のめくるめくような響きに満ちたところは軽やかな足取りを感じさせました。正派合奏団・山本邦山尺八合奏団は暗譜で演奏していましたが、西洋音楽のアンサンブルでは譜面を見ながらなので新鮮でした。また正派合奏団の皆さんは揃いの薄水色のお着物で、まるで飛騨の澄み切った水を思い起こさせました。再現部でのうごめくような琴とむせぶような尺八の対比が鮮やかに描かれていました。保育器を指す第2曲「立円(たちつぶら)」では琴のソロのアルペジオに乗って尺八のソロが即興的にオクターブを歌い上げており、琴のスフォルツァンド風の弾き口には優しさを感じさせました。新酒の出来上がりを告げる看板を指す第3曲「杉玉」では邦楽にロック風ビートを付した大変リズミカルな一曲で、5拍子の不思議な心地良さに思わず実はそっと足踏みをしてしまいました。D音を延ばす琴の上を尺八が自在に舞っており、アフタービートの歯切れ良さには曲が終わっても足踏みをしてしまうくらいに感じさせました。

続いては私にとってはおなじみ日本音楽集団による「春の一日」。第1曲は軽やかな打楽器に乗ってうららかな春の光景が描かれ、流れるような琴と三味線とのかけ合いも見事な演奏でした。第2曲は琴のオクターブ分散和音に乗って日なたでうたたねする心持ちを描き出しており、打楽器と琴のユニゾンとのかけ合いに、尺八が息を多めに混ぜて応ずるところはほのぼのとした響きを聴かせていました。第3曲は鉦と鈴が空気を切り開くように進む中、琴のオクターブの幅広い響きを聴かせ、テンポが急激に上がる部分でも全体がタテに揃いひとひらの花の舞を思わせる演奏でした。終曲では尺八の息のかかった吹き口がまるで春風が自在に舞う様子を思い起こさせ、三味線と琴が入り乱れる部分もなかなかの聴きもの。一転静まり返る中で尺八の「カデンツァ」リレーでは艶っぽささえも感じさせるものでした。春は五感を目覚めさせてくれるものですが、この日の演奏会では一足早く春の気分を味わう事が出来たかな、と感じました。

続いては沢井忠夫合奏団による「雪三態」。第1曲ではしんしんと降る雪を独特の付点リズムで表現しており、よどみなく続く琴の響きの幅広さ、特に低音部分の響きが広がるのはなかなか圧巻でした。第2曲では同じ音型を繰り返しつつ次から次へと音の連なりが静かに降り積もっていく様子を描き出していました。第3曲ではややテンポを上げてA-E-Aの音の波に乗って揃ったりかけ合ったり、細やかに歌う部分は粉雪の舞い落ちるのを連想させました。テンポを落として和音が重なり合っていたり不思議なコード下降の部分では細雪を彷彿とさせました。

宮城合奏団による「北国雪賦」の第1曲「かまくら」では琴の静かに弾く音は静かなかまくらの中に響く温かな歌声を思わせ、団員によるユニゾンは聴き応えがありました。オクターブに乗って細やかに動くところはしんしんと雪降る夜を思わせ、遠くに三味線が響かせつつ琴がアルペジオとオクターブを繰り返すのはまるで夢の中にいるような描写をしておりました。第2曲「ぼんてん」は三味線がやや強めに弾くところは琴が歯切れ良くスタカート気味に弾くところ共々雪国の人々の内に秘めた思いが込められていました。終盤ポーズを置く場面では拍の裏にも緊張感が満ちており、この曲の演奏を引き締めていたと思います。

最後には今回出演の5団体による「子供のための組曲」。いわば邦楽界のドリームチームによる記念すべき演奏で、これは聴衆も特に熱心に聴いていたと思います。
第1章は琴が流れるような快いリズムを刻み、幅広い響きの中に面白みがこもっていました。第2章は明るさの中にかげりを帯びたメロディを尺八群が息を多めに混ぜられて奏されており、曲へは勿論、長澤さんへの思いをも込められているように感じられました。第3曲は2つの木魚と琵琶の振り子を思わせる刻みに他の楽器も引き込まれていく展開が面白く、また琴のアルペジオの波が振り子の刻みと相まって奥深く響いていました。第4章では琴と琵琶の半音刻みに加えて尺八のシンコペーション気味の子守唄が聴き手にも大変心地良く響きました。第5章は突如空を切るような和太鼓2人の力強い響きが乗り移ったような三味線や琵琶の力強い演奏が会場をあっという間に包み込み、じょんがら風ソロ部分も圧倒的。中間部のほのかな祭囃子は夢の中での回想を思わせ、再び全体の合奏に戻ると熱さは更に倍増して長澤勝俊記念祭は熱狂のうちに幕となりました。鳴り止まぬ拍手の中、演奏者の皆さんの表情は実に晴れやか、来場のお客様も熱のこもった演奏を満喫された様子でした。

本番後もステージ上の興奮さめやらぬお客様が出演者と談笑しつつ華やかなひとときを過ごされていましたが、私も新年から心が大変温まる素晴らしい演奏会に立ち会う事が出来て本当に幸運だったなと感じた次第です。
日本音楽集団の結成時も流派を超えた邦楽器アンサンブルを目指したとの事ですが、この日の演奏会を聴いていると、その思いは長澤さんを通じて更に確かなものになったのではないかな、と思いました。長澤さんはこれからもきっと天国から温かな眼差しで邦楽界を見守って下さっているでしょう。
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by tritonmonitor | 2009-01-10 19:57 | TAN's Amici コンサート