NPOトリトン・アーツ・ネットワークの活動レポートです。詳細はhttp://www.triton-arts.net
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〈TAN's Amici Concert〉 日本音楽集団第201回定期演奏会

2010年11月17日(水)19:00開演
【報告者:Sho/勝どき在住 2階席C2列】

あ、これは邦楽のオーケストラなんだ、というのは後になって思ったことで、次々に演奏される変化に富んだ音のアンサンブルにすっかりはまってしまった。

朝から雨の降る寒い日だった。
友人からの電話で誘われたコンサート。棚から降ってきた“ぼた餅”ではなく“日本音楽集団の定期演奏会”のお誘い。お断りするのは勿体ないと、何の知識もなく軽い気持ちででかけた。

開演を待ってプログラムをめくる。解説を読んでみても見当がつかない。
今までの洋楽のコンサートなら、私でも何曲か知っている曲や作曲家(バッハとかドビュッシー)があるのだけど、まるで様子がちがう。
曲目は『子供のための組曲』、『雨のむこうがわで』、『夢もよい・・・』、『火の曲』、『ディヴェルティメント』。なんだか難しそう・・・と思った。

ステージは三段の舞台に設えられ、着物や袴姿の演奏家が登場する。奥に打楽器と三味線と琵琶、中間に尺八、手前には箏と十七絃がずらりと並ぶ。総勢19人の豪華なメンバーで、女性の淡い着物の色が美しい。
一曲目が始まった。箏、尺八、三味線、音色はどれも心地よく、初めてのようだけど、懐かしいようで、醸し出されるリズムは調子よく、打楽器のパッカパッカに体が弾む。あ、これは邦楽のオーケストラなんだ、というのは後になって思ったことで、次々に演奏される変化に富んだ音のアンサンブルにすっかりはまってしまった。
今まで私にとって、日本古来の楽器で演奏される音楽は、伝統音楽として、または日常の生活の中の音楽として耳にしてきた。それがこんなふうにおもちゃ箱みたいに楽しい「子供のための組曲」になってしまうなんて、本当に驚きのスタートだった。

次の『雨のむこうがわで 4人の打楽器奏者のために』には、またびっくりした。4人の演奏者の体が楽器になってしまって、好き勝手にやっているのではないかと思ったけど、楽譜をめくっているところを見ると、これはこういう音の世界なのだ。
続いて『夢もよい・・・』は唯遊湯人(たゆたふと)の詩に遊ぶ奇想組曲という不思議な曲で、休憩後の二つの演奏も玉手箱の連続だった。けれどもなぜか、耳にも心にもなじんでしまう。どこか私の体内のリズムに共鳴してしまう何かがあるようで、音楽を聴くという構えなしに体の中に入り込んでしまう。そして最後の曲、名残を惜しむかのようなエンディングは、もう一発、もう一発と打ち上げられた夜空に浮かぶ大玉の花火のようだった。

コンサートが終わってホールで演奏家の方々とTANの皆さんの温かいお見送りを受けて家路に向かう。今日の“ぼた餅”は美味しかった。美味しいものは洋食か和食かジャンルを問わない。TANと第一生命ホールという素晴らしい音楽のレストランが身近にあるなんて本当に恵まれている。 今後もいろいろなメニュー、楽しみにしています。
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# by tritonmonitor | 2010-11-17 18:59

〈TAN's Amici Concert〉 ショパンの愛したプレイエル・ピアノ~弦楽器と奏でる美しい詩~

11月9日(火)19:00開演
【報告者:N・F/大学生/静岡県在住 1階15列25番】

響きが衝突することなく、それぞれの楽器が掛け合いながら混ざり合うことによって音が広がっていく感じがとても聴いていて心地よく感じられた。

今年はショパン生誕200年ということでショパン関連のコンサートが多くで開かれていたが、今回の演奏会は一味違っていた。
今回使用されていたプレイエル・ピアノは浜松市楽器博物館に所蔵されているものである。開場後まもなく小岩氏によるプレトークが行われていた。このプレイエルはアクションがシングル・エスケープメントであるためキーを完全に戻さないと次の音が出てこず、キーのタッチがデリケートであるため演奏が非常に難しいという。

しかしながらそういった繊細な楽器であるからこそ、小倉氏の演奏は本当に1音1音を楽器と対話しながら紡いでいっているという様子で、見ていても凄く引き込まれた。
オープニングの「華麗なるワルツ」では飛んだり跳ねたり、テンポを揺らしたりして、軽やかに音が転がっていったと思えば、「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」ではずっしり、しっとりとした響きで多彩な表情が見られた。しかしプレイエルの音はどんなに力強い場面でもどこか優しく、上品な響きをしていたのが印象的であった。

弦楽五重奏版の「ピアノ協奏曲 第2番」では、他の弦楽器とプレイエルの音色が溶け合っていた。響きが衝突することなく、それぞれの楽器が掛け合いながら混ざり合うことによって音が広がっていく感じがとても聴いていて心地よく感じられた。当時の楽器での演奏を聴くことで、ショパンがその音楽をつくった時に思い描いていた音や世界に近づくことができたように感じる。
それから、アンコールで演奏された弦楽五重奏版の「別れの曲」が新鮮だった。弦のピッチカートやトレモロが加わり原曲より軽やかで動きが伝わってくるアレンジで、この曲のまた新たな面を発見することができた。そして当時はもっとこんな風に自由にサロンや様々な場所で演奏がなされていたのだろうか、と色々思いが巡った。

このシリーズは静岡文化芸術大学との共催で、私は2008年の3月に開かれた『クララ&ロベルト・シューマン~愛、輝きと優しさ~』の公演も聴いたのだが、ここで使われていたグラーフのフォルテピアノと比べるとプレイエルの方がつくられたのが新しいということもあり、もう少し音が明るく輪郭がくっきりしているような印象を受けた。フォルテピアノだけ見ても、シリーズを通して聴き比べるとそこにも楽器の変化が見られて興味深かった。

歴史の中で楽器も聴衆も変化し続け、そして現在に至っている。音楽をひも解いていく中で、そんな歴史の大きな流れを会場に居合わせた人々は感じられたコンサートだったのではないかと思う。
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# by tritonmonitor | 2010-11-09 18:40

〈クァルテット・ウィークエンド2010-2011 Galleria〉 エルデーディ弦楽四重奏団

2010年10月17日(日)14:00開演
【報告者:齋藤健治/編集者/月島在住 1階8列9番】

今年も我が町に、クァルテットの季節がやってきた

お待ちかねのシーズン、再開

シューベルト「死と乙女」が鳴る。
甘美なメロディに流されず、抑制をきかせた演奏。エルデーディQは、丹精に音を織り込んでいく。そして冒頭のテーマの再現部から徐々にサウンドが活気づいていく。
今年度の「クァルテット・ウィークエンド」は、弦楽四重奏の定番であるこの曲からスタートした。
開演前のロビーはザワザワとした雰囲気。この日を待ちかねていたかのようだ。
秋から冬、そして春にかけて、第一生命ホールで繰り広げられていく“クァルテットの季節”は、まためぐってきた。

「クァルテット・ウィークエンド」は、様々な人が集う「場」

観客は、1階席は半分ほど、2階席後方も埋まっている。年齢層は高めだ。
その中で、「クァルテット・ウィークエンド」でいつも見かける方々と出会う。どの人たちも、このホールでのイヴェントがなければ知り合えなかったお顔ばかりだ。
それにしても年を重ねるほどに、背負うものも多くなってくる。仕事、家庭、子育て、近所付き合い等々。どれもこれも大切なものだ。その限りある時間をやりくりして、演奏会にかけつけてくる人々。
ある人は仕事の休日かな。ある人はお孫さんのお世話に明け暮れていると聞いている。ある人は主婦業で忙しい。
そうした多様な暮らしを送る人々が集う場。おそらく「クァルテット」がなければ、出会いが生まれえなかった場。
地域社会の崩壊を背景に「新しい公共」という考えが議論されているが、「我が町のホール」が新しい人と人との関係をつくってきたことを、改めて実感した。

シーズンの始まりを緻密な職人芸で聴かせる

エルデーディQのこの日の演奏にも触れてみたい。
「シューベルト&シューマン、ロマンの胎動と爛熟」と題されたプログラムのうち、後半のシューマンでは、「弦楽四重奏曲第3番イ長調op.41-3」を演奏。第1楽章は各パートがやさしい音色を繰り広げ、それをあたかも水彩画のように溶け合わせていく。第2楽章も滑らかな味わいで、とてもシルキーだ。
第3楽章はいぶし銀のような光沢を思わせ、第4楽章は圧巻。奇をてらうことのない緻密な職人芸で、聴衆を音の世界へと引きずり込んでいった。
アンコールはメンデルスゾーン「弦楽四重奏曲第2番イ短調op.13」より第2楽章だったが、この演奏とシューマンを聴き比べることで、彼らの曲の解釈についてのていねいさが伝わってくるものであった。
つまりメンデルスゾーンでは作曲家のあふれんばかりの才能がよく感じられる演奏であったのに対し、シューマンはおそらく研究に研究を重ねてきた音の構築、それをエルデーディQは楽譜を通して追い求めているかのようであった。けっして大向こうに構える演奏ではなく、じっくりと足下を固めていく表現。でもまだ完成し切ってはいなくて、これからさらに深みを探ろうとしている音。
次の「クァルテット・ウィークエンド」ではどのようなアーティストの姿に触れられるのだろうか。
そして、クァルテットを通して知り合った聴衆の方々と今度もまた出会えるかしら――始まったばかりのシーズンに、これからの思いは膨らんでやまない。
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# by tritonmonitor | 2010-10-17 17:12

音楽のある週末 第4回 イングリット・フリッター ピアノ・リサイタル

2010年10月9日(土)14:00開演
【報告者:齋藤健治/編集者/月島在住 1階10列36番】

澄んだ丁寧なサウンドに、ココロの張りが解き放たれる時間

週末の午後、室内楽が待っている

トリトン・アーツ・ネットワークは、今年新たな取組み「音楽のある週末」を始めた。
これは、土曜日の午後に開かれ、今回で4回目を迎える。これまでは弦楽器のリサイタルが行われてきたが、本日は初めてのピアノ。
ところで土曜日の午後は、クラシック音楽にとって、激戦の時間だ。都内のあちらこちらのホールで、オーケストラの定期演奏会が開かれている。
きらびやかな交響曲を選ぶか、一人のアーティストとあいまみえる室内楽に足を運ぶか――。1週間の仕事をやりくりしたあとの、落ち着きたい土曜日。でも、頭はなんだか昨日までのアレコレを引きずっている土曜日。
そんな気分の時は、室内楽に定評のあるこのホールの堅実な音の力で、気持ちをフラットにもっていくのも一つの手だろう。

温かな観客の雰囲気

午後2時開演の10分前にホールに入る。1階席は5分の4ほどの入りだ。2階席も人影が動いている。
会場はざわついた雰囲気はなく、これから始まるプログラムを心待ちにしているかのよう。ゆったりとした時間だ。
ホールを見渡すと、小学校中学年くらいの男の子と、おそらくは、その子の父親とが、2人で並んで座っているのが目に入ってくる。そして、時折プログラムを見ながら一言二言交わし合っているのは、ほほ笑ましい様子。
今日のコンサートに行こうと誘ったのは、どちらかな。男の子のほうが熱心のように見えるから、たぶんパパは、家族サービスだろうか。音楽を通じた子どもへの温かい気持ち。
週末の音楽の時間が、こうして始まる。

そして「イングリット・フリッター・ワールド」が展開された

ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調op.31-3」から始まった本日のプログラム。
イングリット・フリッターさんの奏でるピアノは、澄んだ音。丁寧に、丁寧に、サウンドを解き放つ。
多少のサムシング・エルスが欲しいような気がしないでもないが、この1週間のココロの張りが、少しずつ溶けていく。
第2部はショパン。「イングリット・フリッター・ワールド」と言ってもよいか、「彼女の考えるショパン」を聴いた。
たとえば「子犬のワルツ」。
スケール感にあふれつつ、キッパリとした音づくり。そして、確かに繰り広げられるリズムに、体が自然と揺れていくのを押さえられない。
        * * *
プログラム終了後のサイン会では、ファンの一人ひとりを、フンワリとした笑顔で迎えているイングリット・フリッターさん。
ホールのそこだけが、温かな繭に覆われているような錯覚を覚えつつ、和らいだココロでもって、会場をあとにした。
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# by tritonmonitor | 2010-10-09 14:00

630コンサート~充電の1時間~ 塩谷 哲・松本和将(ピアノ・デュオ)

9月15日(水)18:30開演
【報告者:K.T/千葉県在住/団体職員】

最高潮のところで終わった感じですが、大丈夫です、悔いは残りません。

ただただ、音楽を楽しませていただきました、の一言です。それ以上でも以下でもありません。さはさりながらいくつか、思いつきで恐縮ですが感想を記しておきます。

1時間のコンサートというのは、初めてでしたがとても満足しています。後1時間あれば、別の世界を見せてくれたのだろうな、という物足りなさの一方で、ここでお二人とお別れしたくない、もっと聴かせてという欲求が心地よかったです。最高潮のところで終わった感じですが、大丈夫です、悔いは残りません。余韻を残し、だからいつまでも忘れないです。

目に付いたのは、30代~40代の男のサラリーマン風でした(数は多くはないようですが)。これから一杯飲んで別のリフレッシュ、そんな感じで軽やかにホールを後にしているように見えました。好きでなければ、2時間はしんどいけれど、1時間だったら、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。音楽(の魅力)に接する良い企画、機会だなとも思いました。

構成も良かったです。親しみのある曲から始まりましたが、違和感なくジャズとクラシックとを行き来でき、最終的にはふたつが融合し、最後には音楽の楽しさ、豊かさが心を満たしてくれていました。
塩谷さんの曲も演奏も初めてでしたが、「ヴァルス」という曲には魅かれました。ラテンとおっしゃったでしょうか。陽気な旅をさせてもらった感じです。それと松本さんの動きが良かった(おもしろかった)。一緒に音楽を楽しんでください、と言われているようで、こちらも弾みます。ピアノ・デュオというのは迫力があるものなんですね。塩谷さんと松本さんの触発の仕合が客席まで届き、規律あるライブハウスの感じで楽しめました。塩谷さんの演出でしょうか、いや人柄ですよね。

とにかく、音楽を楽しめる企画内容、コンサートでした。良質なホスピタリティに包まれた1時間でした。これからも良い演奏、良い企画を楽しみにしています。次は歌を聴きたいです。
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# by tritonmonitor | 2010-09-15 18:30 | ライフサイクルコンサート

音楽のある週末 <弦楽器の魅力> 第3回 藤原真理チェロ・リサイタル

2010年9月11日(土)14:00開演
【報告者:小室美登利/編集者/東京都在住 1階11列7番】

藤原さんのチェロは、縦横無尽、変幻自在にその音色を操る。そんな絶対的な信頼感、安心感に満たされて、私たちはただただ一体となって、身をまかせてればいいのだ。

藤原真理さんの演奏を初めて生で聴いたのは、もう10数年前である。
ステージの藤原さんは、ベージュの衣装、たおやかで颯爽としていた。
チェロの哀愁を帯びた切ない響きの中に、力強いパワーをも内包した音色、その時の曲目などは忘れてしまったが、演奏が終わったあと、その日、朝からずっと辛かった頭痛がウソのように治っていたのに驚いたものだった。
いい演奏、いい音楽は、生で聴くことで、痛んだ細胞レベルまで浸透して癒してくれる力があるのかもしれないと、以来、疲れた時は、気に入ったコンサートに一人で出かけ、いい音楽に包まれて眠るという密かな楽しみを覚えてしまった。

今回のリサイタルは、1階席の左側で拝聴した。おおむね、一階席、二階席ともに埋まり、見たところ年齢的には中年以降の方々が多いようだった。
演奏の前に今日の前半の演目「ショパンのチェロ・ソナタ65番」について、藤原さんが解説して下さった。ピアノの詩人と呼ばれたショパンがチェロのために生涯に4曲、作った室内楽曲のうちの一つだという。曲は最初から重厚な展開だった。先導するピアノに、チェロの旋律が草原と化した会場に風を呼ぶようになびき、そのピアノとチェロが絡み合うような演奏が、緊張感を覚えながらも心地良く印象的であった。
あたりをそっと見渡すと、皆さん、居住まいを正して聴き入っている様子。専門的にはよくわからないが、チェロのためのソナタなのでしょうが、ピアノも決して従ではなくて、互いがチェロ語とピアノ語で、何か語り合いをしているような感じ。第3楽章あたりからは、緊張感もほどけてきて、目を閉じていらっしゃる方も多いようだった。うん、やはり気持ちの良い調べはどんな曲でも眠りを誘います、納得、納得……。
フィナーレはちょっとショパンらしい(生意気にもそんな感じがした)軽快なピアノの展開にややドラマティックにチェロが挑むような感じだった。聴き終わって、ふう〜と体が軽くなった気がした。

休憩を挟んでの後半は、バッハの無伴奏である。演奏前に藤原さんが解説して下さる。
当時のチェロは独奏楽器として確立していなかったそうで、サイズも今のチェロよりふたまわり程、小さかったそうだ。透明な音色や大きな音を持続するのは難しい時代に、バッハは単旋律の中に、モザイクのようにチェロの可能性を隠している、それをどう発見するか、演奏者としては常に学ぶものがあるという。そんな藤原さんの言葉が、演奏を聴く側にも、期待感を呼び起こす。前奏曲は、ずんと重たく沈むような響きが印象に残った。それが、やがてスリリングな響きに変わったり、どっしりした手応えを感じたり、確かに単調な響きの中にも、天に引き上げられるような高揚のある音色が混じったり、体の中の疲れというか、淀みが体外に流れ出ていくような、不思議なパワーに酔いしれて、気がついたたら曲が終わっていた。藤原さんのチェロは、縦横無尽、変幻自在にその音色を操る。そんな絶対的な信頼感、安心感に満たされて、私たちはただただ一体となって、身をまかせてればいいのだ。そんな印象である。

このあと、藤原さんは小曲を4つほど弾いた。私が知っているのは最後のサン=サーンスの「白鳥」。これは文句なしに気持ちよく目を閉じて聞き惚れました。そのあと、お疲れでしょうに、アンコールに応えて弾いて下さったのがロシアの作曲家カバレフスキーの「チェロ・ソナタop71第2楽章」。ソ連の民族的な題材をテーマにした3つの楽曲の真ん中の曲とのことだったが、これがちょっと暗い感じで、しかもドラマの一番美味しいところ、クライマックスのところで終わってしまった感じ。ちょっと待って〜!これで、今日は帰るの、う〜ん参ったなと思ってたところへ、再び、藤原さんが登場。まるで私たちの気持ちを読んでいたかのように、「暗い曲で終わりでは何ですから、最後に明るい曲を」と微笑んで、エルガーの「朝のあいさつ」を。もうにくい演出です。会場全体が何だかほっとしたような空気感の中、もう文句なしに絶妙なチェロの音色でめいっぱい堪能させていただきました。

それにしても、今日は、いきなりヘビーなメインディッシュを出され、趣向の違うア・ラ・カルトもあれこれ堪能し、最後にとびきりのデザートまでいただいた感じ。
出口のところで振り返り、お帰りになる方々のお顔を拝見したら、皆さん、満足いたしましたという、穏やかな笑顔が並んでいました。藤原さん、ステキな企て(ってことないか)、本当にどうもありがとうございました。また、聴きに来ます!倉戸さんもありがとうございました! ステキな共演でした。
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# by tritonmonitor | 2010-09-11 14:00

〈TAN's Amici Concert〉 林光・東混 八月のまつり31

2010年8月9日(月)19:00開演
【報告者:さいとうさなえ/高校教諭/千葉県在住】

忘れない。

怖い。苦しい。悲しい。辛い。自分の心と体が痛い。絵よりも怖い。でも美しい。二度と繰り返してはいけない。

――76年9月、修学旅行の事前学習の一環として、『原爆小景』の「水ヲ下サイ」を高校2年生に聞かせた。前年のNHK全国学校音楽コンクール全国大会の録音が役立った。
そもそも『原爆小景』との出会いは72年8月。所属の早稲田大学混声合唱団員と共に「夏の東混は刺激的だ」との先輩の声にひかれ、客演指揮者の原田氏、ヴォイストレーナーの山田茂氏等々のご出演もあって、文化会館へ。本格的な合唱に触れたことのない自分には、何もかもが新鮮だった。そこに『原爆小景』がきた。この曲が、自分の合唱のもう一つの原点となった。爾来、夏といえば『原爆小景』。

生で聞くのは実に35年ぶりだが、今回の聴衆はシニアの方が多かった。銀髪に戦後65年の重みを感じる。その中で、小学生と中学生と思しき姉妹が何組かと、大学生らしいグループが幾つか眼を引いた。高校生にも相当ハードなこの曲に触れさせようとの親御さんの見識の高さ。若い人たちの意欲と素直な感動。なんだか嬉しく、ほほえんでしまった。

「永遠のみどり」は、今回初めて聴いた。伸びやかな瑞々しい声の紡ぐ気負わない素直な音の重なりは、「ひろしまのデルタ」にしたたる「とはのみどり」そのもの。柔らかな若緑の照明と相俟って無限の広がりを感じた。前日、「芥川也寸志メモリアル オーケストラニッポカ」による、深井史郎『平和への祈り』の合唱に出たのだが、第4楽章の〈ただならぬ 苦患(なやみ)の後に/よみがえる 生命あり、/苦しみの極まるところ/やすらひと 慰めの光あり〉のところで感じたものは、〈死と焔の記憶に/よき祈よ こもれ〉と同じ生命の蘇りと祈りだったのだ。そして、上手の譜面台に置かれた1本の白百合。慰霊碑に手向けられた献花の如く清らかで美しかった。

先の高校生の感想はまだある。「アメリカの人に聴いてほしい。」――演奏に先立って、林光氏は、「忘れない。忘れてはいけない。」とおっしゃった。原爆投下。被爆。この事実を私たち人間は忘れてはならない。核使用の国の人を責めるのではない。こんな苦しみ、悲しみ、痛み、怖さが、65年前に人の手によって一方的にもたらされたことを知ってほしいのだ。そして感じてほしい。高校生と同じく自分の心で。もとより戦争で幸せになれるはずはなく、今は戦争即核使用、人類滅亡へとつながる。同じことが起きようとしている。押しとどめるのは今。人間の声のちから、東混の『原爆小景』のちからで。

恒例の「林光・東混 八月のまつり」。魂鎮めのまつりのみならず、私たちに未来への進む力を与えてくれる今宵のまつりであった。

「きりっとした」東混による「へなっとした」小歌。『花靱』、もー最高!!中世のマドリガルに匹敵する艶やかさと軽やかさに酔った。終曲【歌えや】はnigro spiritualのようなswing感あり、ブロードウェイのダンスナンバーのノリで思わず体もswing。これぞ「八月のまつり」の締めにふさわしい躍動感と生命力が漲っていた。『閑吟集』は大好きで、今回のお目当てだった。思いのたけは次の機会に。
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# by tritonmonitor | 2010-08-09 20:22 | TAN's Amici コンサート

〈TAN's Amici Concert〉 林光・東混 八月のまつり31

2010年8月9日(月)19:00開演
【報告者:T.K/中央区在住】

作品と言う媒介を通して後世の人に感情を間接的にも経験させ、当時の記憶を「残す」。
それが作品の意図ではなかろうか。


しがみつく様にしつこい暑さが一休みした日の昼下がり、当日夜の「八月のまつり」にモニターとしてお誘いを頂いた瞬間、自分の心の中に躊躇が無かったと言えば嘘になる。この「八月のまつり」の恒例ともいえる、林光氏の『原爆小景』を聴くことにどこか抵抗感を感じていた事は否めない。

先の戦争の終結から65年、日本は、(様々な捉え方はあるにせよ)対外的な戦争を経験せずに復興・発展から停滞を経て今に至る。その中で育ってきた小生の世代は、戦争経験世代からすると三世代、つまり自分を直接育てた親すらも戦争を経験していない。
その小生が家庭や諸教育機関で受けてきた戦争や被爆国としての教育は、「知ることが義務」という体裁を取り、原爆の悲惨さ、殺しあう事の哀しさなどを、絵画や映像、文学など様々な形で小生達に知識として「知ることを求めて」きた。止める事の出来ない時間軸の中で、遠く離れつつある消せない事実を学ぶことが「義務」教育だったのである。幸福な事に平和を享受している小生は、それが故に自国の戦争を過去の事象としてしか捉える事の出来ない中で、その悲惨さ・哀しさを知るのは幼い頃から心を痛ませる「義務」だった。
原爆小景を聴く事は「義務」を再び体験する事であり、それを忌諱する芽が自分の心の中に生えたのは否めない事実だが、その芽を摘み取り、ホールへと足を向けたのは、過去を知り記憶を「残す」ことが我々の責務であると言い聞かすもう一人の自分もいたから(そのもう一人の自分を育てることが、戦争教育の一環だったのかもしれないが)。

芸術のどの分野であっても、戦争や原爆を題材に扱った作品は、その表現で求めている物は「美」ではないような気がする。作品の目的は、その表現形態を介して、そこで起こった事実や表現者の中に湧き起こった感情を「残す」こと。恐れ・苦しみ・悲しみ・痛み・怒り・諦め・絶望・渇望…、作品に接した時に湧き起こる感情は、作者の意図したものだろう。作品と言う媒介を通して後世の人に感情を間接的にも経験させ、当時の記憶を「残す」。それが作品の意図ではなかろうか。

この日も、「原爆小景」の中で歌われる死の淵に落ちつつある人の声は、当時の凄惨さを語りかけ、聴く者に心苦しいまでの感情喚起を促した。体が焼かれた痛み、一瞬の間に起こった殺戮への疑問、生への執着と諦観、水への渇望、そして永久のみどりへの希望。原民喜が書き綴り、林光が曲を付けた作品は、強く、容赦なく訴えかけてきた。その意味で、演奏は生々しいまでにインパクトのあるものであった。

演奏会はその後、林光氏の新作などに続き、最後は日本のおなじみの歌曲で締めをくくった。プログラムとして曲が進むにつれ、曲としての興味深さや美しさが先行するようになり、そして最後には耳慣れた曲で終り、会場としては「やっぱり歌はいいね」という雰囲気で終演を迎えた。
しかし、個人としては「原爆小景」で受けたインパクトが徐々に薄れていき、演奏会が終わった時に何が「残った」かが曖昧になってしまったという印象は拭えない。
一つ一つの作品は素晴らしいものだったし、貴重な体験をさせてもらえた。だが、小生の思う曲の主眼が「残される」ものだったかどうかは分からないまま帰路につく事になった。

殺戮兵器として生まれた核兵器は、威嚇道具、そして抑止力として利用されながら、現在では政治的プロパガンダの材料にまで使われるに至った(意図の有無に関わらず、それによってノーベル平和賞が動いたのも1回ではない)。どのように利用されようが、物質として核兵器が残っている世の中で、唯一の被爆国である日本は何を「残す」のか。
そんな事を考えさせられる演奏会だった。
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# by tritonmonitor | 2010-08-09 19:00 | TAN's Amici コンサート

夏休み キッズのためのコンサート

8月8日(日)14:00開演
【報告者:A・O/新宿区在住/団体職員】

笑顔で、子どもの目を見て弾いているのがとても好印象でした。

今回、私たち親子は8月8日に行われた「夏休みキッズのためのコンサート」に伺いました。 会場は、勝どきから歩いて数分の第一生命ホール。まだ新しいのか、足を踏み入れると、木の清々しい香りを感じました。
私自身は、クラシックの音楽を自宅で楽しむことはあっても、オーケストラの演奏を、コンサート会場で聴くのは久々…と言うより、ほぼ初めてに近い経験で、今回生の音が聴けるとあって、非常に楽しみでした。
5才になる娘にとっては、人生初のコンサートでした。音楽を聴くのは大好きです。当の本人は、「今から演奏が始まるんだよ」と説明しても「えっ!○○(娘の名前)たちがやるの?」と、今から何が始まるか、よく分かっていないようでした。

照明が落ち、司会者の方がステージに出てこられて、演目が始まりました。
最初はまず楽器の紹介から。「この音は何かなー?」という問いかけに、子どもたちが「ヴァイオリン!」「ヴィオラ!」と元気よく答えていました。娘も、周りの子どもたちが答えているのに合わせて「ヴァイオリン!」とか、「ラッパー!」と答えていました。そして、その楽器と演奏者がステージに出てこられ、音を出すごとに、じーっとその人と、楽器を見つめていました。コントラバスに「おっきい!!」と驚いたり、ホルンやフルートを見て、「キラキラしていてきれい」と言ったり。またこの時、娘が「ヴァイオリンとヴィオラは一緒じゃないの?」、「あの笛(フルート)はキラキラしているけど、なんであれ(ファゴット)は茶色いの?」と、楽器の違いに興味を持ったようです。簡単でよいので、説明してもらえるとありがたかったです。
ヴァイオリンの奏者達がステージ出るときの演出は面白く、客席内がわあっ!!と沸きました。司会の方がヴァイオリンの説明をしているときに、その音色が流れ 「あれれ?」としていると、客席両サイドのドアから、ヴァイオリン奏者たちが、演奏しながら入ってくる、というものでした。奏者の方は、皆さんそれぞれ客席に座っている子どもたちに向かって、その子の目の前でヴァイオリンをキュキュキュッと弾いており、子どもたちは釘付けになっていました。笑顔で、子どもの目を見て弾いているのがとても好印象でした。それまで、何が始まるか分からないなぁという顔をしていた娘が、この演出でぐっと引き込まれたように思います。

楽器が勢揃いし、演奏がスタートしました。生音ならではの迫力や、質感。やっぱりいいなぁ、と聴いていました。娘はというと、演奏を聴きながら、体を軽く揺らしたり、手を叩いたり。一方で、ちょっとごそごそして「この次はなにがあるのー?」と言ったりしていました。演奏が終わるたびに、司会の方が出てこられて、演奏の説明等をされるので、演奏の時間・お話の時間と切り換えができ飽きずに過ごせたようです。『ワルツィング・キャット』という曲では、ネコ耳としっぽをつけたかわいらしいお姉さんが登場。お姉さんが<にゃ~お>と書かれたパネルを挙げるタイミングで、皆も「にゃ~お」と掛け声をしてください、という演出でした。娘も他のお子さんたちも、「にゃ~お!」と楽しんでいました。後から娘に聞いてみると、この「にゃ~お」が一番楽しかったようです。
ハイライトの、プロコフィエフ『古典的交響曲』では司会の方から「一曲一曲が終わるたびに拍手するのではなく、全部の曲が終わってから、大きな拍手をしてください。」と、演奏を聴くときのルールを説明してくださり、良いことだなぁと思いました。実際に演奏を聴く際の拍手のタイミングは、大人でも分からないことが時々あります。こうした実際の場で拍手の間を教えることは、子どもにとっても分かりよいですし、覚えやすいのではないかと思います。

コンサートは一時間ほどで終了。飽きてしまわない、ちょうどよい長さでした。ロビーでは、さっきまで演奏していたお兄さん・お姉さんから、笑顔でお見送りをしていただき、新鮮でしたし、温かい気持ちになりました。
娘も来年からは小学生ですし、成長と共に色々な音楽を聴かせてみたい、一緒に楽しみたいと思っています。そして何より、今回のコンサートを娘が「楽しかった!」と喜んでいたので、また機会を見つけて、ホールに伺いたいと思います。
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# by tritonmonitor | 2010-08-08 14:00

音楽のある週末 <弦楽器の魅力> 第2回 南紫音

7月24日(土)14:00開演
【報告者:井出春夫/会社員 2階L2列25番】

そして、彼女を聞くならやはりライブだろう。

南紫音というヴァイオリニストは何回かテレビで見て知っていたが、あまり印象のない演奏家のように思っていた。でも「一度くらい生で聴いておこうか」時間もあるし、今度新しく始まった「音楽の週末」という土曜日のコンサートシリーズもちょっときになるし。とても気楽な気持ち、半ばひやかしのような気持ちでホールにむかった。ホールにはいってみると、思ったよりもお客さんが少ない。土曜の午後はコンサートの激戦日でやはり分散してしまうのだろうか?などと考えながら開演を待つ。

第1曲目のイザイの無伴奏第6番では、「音がきれいな人だなぁ」と思ったくらいだが、2曲目以降、彼女の音楽に魅せられてしまった。
モーツァルトのヴァイオリンソナタ28番と25番。とても自然な歌い出し、美しい音それでいてのびのび弾いている。南紫音という人は、メロディを歌うのがとても上手い。彼女のヴァイオリンの音はリート歌手の歌のように思えた。後半は、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ラヴェルという近代作曲家の作品がとりあげられた。これらの作品は少しとっつきにくさがあるけれど、曲がとても聞きやすく、曲のよさを改めて感じさせてもらえた。このような曲を聞いていてもヴァイオリンの技術が前に出てこないのがいい。
江口さんとの共演も素敵だ。江口さんの音は時にきらきら輝いて、「のだめカンタービレ」の、のだめが弾いている時にピアノからあふれ出てくる音を表すいろんな形のCGが見えるよう。江口さんと南さん、何だかお互いとても弾きやすそうに感じた。

音の大きさも決してデカイ音がしない。楽譜を見たわけではないので何ともいえないが、私の聞いている感じでは、フォルテ1個が最も大きい音。それでも、フォルテ2個のように感じられる時もある。音楽がとても上品である。ホールの響きを考慮してダイナミックスを押さえ気味だったのかどうかはわからない。でも、このホールの響きにはぴったりだったと思う。この演奏会が素晴らしかったのでそう思ってしまったのかも知れないけど、このヴァイオリニストは、大きなホールでガンガン弾くよりも、何だか第一生命ホールみたいなあまり大きくないホールで弾いた方が彼女のよさがわかるように思う。そして、彼女を聞くならやはりライブだろう。

また聞いてみたい演奏家である。そしてその時はどんな風に変わっているだろう。
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# by tritonmonitor | 2010-07-24 14:00 | ライフサイクルコンサート