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NPOトリトン・アーツ・ネットワークの活動レポートです。詳細はhttp://www.triton-arts.net
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2006年8月9日(水)林光・東混 八月のまつり27

【報告:須藤久貴/大学院生/1階6列26番】

 開演前の夕刻、ホール内のロビーから外を眺めていると、それほど遠くもないところに運河が見える。その奥には豊洲の新しいビル群が立ち並んでいる。暗くなりかけた空には、いくつかの高層ビルのほのかに赤い光が明滅していて、蛍が呼吸しているみたいだ。いつのまにか頭の中を、<星めぐりの歌>がとめどもなく流れている。

 林光氏は演奏会冒頭のあいさつで、米国籍の少女が広島の平和記念式典で語ったスピーチを引き合いに出しながら、≪原爆小景≫は「あらゆる死者のために歌われる」と手短に述べた。「氏名不詳者多数」と記した名簿が、今年初めて慰霊碑に納められたことを念頭に置いた発言だろう。プログラム前半を無名戦没者のための追悼と位置付けるならば、後半に取り上げられたスペインの詩人、ロルカ没後七十年を記念した曲目は、ロルカという一人の「英雄」のロマンティックな死を追悼したものであり、対照の妙が際立っていて興味深い。

 林光作曲の≪原爆小景≫を聴くのは三度目になるが、年を経るごとにますます東京混声合唱団の歌声は透き通ってくるように思われる。一曲終わるごとに咳払いひとつないほどの沈黙が訪れる。死者の弔いはつねに厳粛だ。「眼ノ細イ ニンゲンノカホ」と歌う詩句が合唱のあちらこちらから繰り返されると、空間の裂け目から鋭く眼光がこちらを覗く光景が、ありありと浮かんでくるようで恐ろしい。しかし≪小景≫を聴き終えたとき心に残るのは、戦争の悲惨さよりも<永遠のみどり>で歌われる救いのほうである。林光氏の音楽には希望がある。たとえどれほど傷ついたり絶望したりしても、その先には希望がある。実際の現実がそうであるのかどうかは関係ない。なぜなら希望とはリアリティなのではなく、美しい願望なのだから。

 休憩を挟んで≪グラナダのみどりの小枝≫が歌われた。簡明で親しみやすい旋律が流れていく。三曲ある中の終曲<明日ともなれば>は、寺嶋陸也氏のピアノ後奏が、しっとりと静かに弾き終えたのが美しかった。さらに新作初演として≪フェデリコ、君の名前は歌だ≫が演奏された。ロルカへの想いを綴った加藤直による八編の詩から成るこの曲に、既視感ならぬ「既聴感」を覚えたのは、不気味な不協和音の多用が≪原爆小景≫を私の耳に想起させたからだと思う。ロルカのファーストネーム、「フェデリコ」という言葉は、合唱の音域を拡大しながら、神妙な響きで執拗に繰り返される。まるで「フェデリコ」というキリスト教の聖人の名前を呼んでいるかのようだ。

 そして最後に寺嶋陸也作曲の≪イグナシオ・サンチェス・メヒーアスを弔う歌≫。「長編小説のような心がまえで」と林氏が語ったように、大作だった。ピアノの低音が硬く打鍵され、力強く血気に迫る合唱に圧倒される。セビリアの名高い闘牛士であったイグナシオは闘牛で牛の角に突かれて死んだ。「ほかのあらゆる死者と同じか」と悲痛をこめて歌われたのが印象的だ。イグナシオの死は英雄の死であり、甘美さの入り込む余地のまったくない原爆の民衆の死とは対照的な、ロマンティックな死である。その死を「僕は見たくない」とロルカは叫んでいる。

 アンコールでは<明日ともなれば>が再び演奏されたあと、毎年恒例の宮沢賢治<星めぐりの歌>が静かに歌われた。単音で分散和音を弾くピアノに乗せて、合唱の歌声が星の名前を数えていく。照明を落とした舞台の真上には、電球で模した星々がきらきらと瞬いている。やがて男声合唱が最後のフレーズを歌い終えると、ピアノが静かに消えていくのと呼応して舞台の薄明かりも消えていく。
by tritonmonitor | 2006-08-12 13:02 | TAN's Amici コンサート
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