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11月1日:古典四重奏団 ドヴォルザーク弦楽四重奏選集Ⅱ
クァルテット・ウェンズデイ #51
【報告:尾花勉/2階C1列10番】 第一生命ホールに通い始めて、今日が三回目である。 前回迄は三度とも一階席であったが、今夜は始めて二階席に座った。段々見慣れて来た舞台を自席からふと見下ろすと、椅子丈が四つ、半円形に並んでいる。「そう云えば、何故このカルテットは暗譜で演奏するのだろうか」その様な、今更とも思える疑問が不意に去来してきた。 稀代の指揮者、S・チェリビダッケは生前「楽譜」に就いて次ぎの様に語った。「楽譜というものは基本的に演奏とは何の関係もない。なぜなら、演奏の現場で始めて何かが生成するのであって、たとえその曲をそれまでに三百回演奏したとしてもその点に変わりはないのだから。(中略)音楽を演奏する上で何より大切な課題は、すべてを忘れてしまうことなのだ。「この先どう音楽が進むかだって? 見当もつかないよ! どう進んでいくか、まあ見てようぜ」というのが正しい」(K・ヴァイラー著/相澤啓一訳『評伝チェリビダッケ』春秋社、1995年、pp、305-306) またチェリビダッケは「楽譜とは、どちらに進めば音楽体験に至れるかの方向性を示してくれる単なるドキュメントに過ぎない」とも云っていた。きっと古典四重奏団はチェリビダッケと同じ事を考えたのではないかと思う。楽譜という「記録」から解放され、その都度生まれては消えていく音楽丈に身を委ねる。それを強靭に追求した結果、「暗譜」という手段に行き付いたのか……。 この潔くも、厳しい音楽への姿勢に襟を正し、舞台へ入場して来た四人に拍手を贈った。 先ず演奏されたのは第14番変イ長調である。 1楽章は異国から帰郷したドヴォルザークの喜びが溢れ、彼に「お帰りなさい」と言いたくなる程、暖かい空気がホールを包んでいる様だった。二楽章では彼のオペラ『ジャコバン党』の分部を転用している一方、三楽章ではワーグナーを彷彿とさせる和声進行が現れる。演奏によるこの部分の描き別けは見事で、老境に達しようとしているドボルザークがまるで「昔はよかった。今じゃどうだい」と物語っている様に感じてならなかった。終楽章は「でもね、やっぱり田舎がいいんだよ」とドボルザークが自宅の縁側から村の祭礼を眺めている……古典カルテットは、その様な情景をありありと感じさせて呉れた。 休憩を挟み、ドボルザーク最後の「絶対音楽」である第13番ト長調が演奏された。 このト長調は、快活な曲想に適するとされ、転じて『少年』のイメージを持つとされている。その様な調性に後押しされてか、私にはドボルザークの「少年時代への回帰」という印象を強く感じた。特に、三楽章に現れる「ホルン5度」の響きに、彼が幼い頃、友人達と日の暮れるのも知らず走り回った森への追慕の様で、又終楽章の明朗な主題や、湧き上がるようなリズムの応酬は老齢にしてドボルザークが沁沁として感じた「若さ」への憧憬があるように思えてならない。古典四重奏団演奏も、首尾一貫して音の響きに細心の注意を払いその様な雰囲気を醸し出していた。 この作品がドボルザークのエピローグだという余韻を漂わせ乍……。
by tritonmonitor
| 2006-11-22 18:22
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